紫雲丸沈没事故のニュース映像
こんなサイトを最近見つけたのです。
昭和30年代のさまざまなニュース映像を、無料で見せていただけるという、日本映画新社さんによる素晴らしいサイトです。いわゆるニュース映画というやつですかね。
こういうのはかなり好きなので、見始めると止まらなくなりまして、結局ほとんど全部見てしまいました。。。しかも今後もまだまだ新しいものがアップされていくようなので、楽しみ。
で、その中から、鉄道関係のものをいくつかピックアップしてみます。昭和30年代といえば、車も鉄道も、交通機関はまだまだ発展途上で、大きな事故や事件が後を絶たなかった時代。そんな時代の雰囲気が、生々しく伝わってきます。史実としては知っていても、実際に映像として見るとその迫力は凄まじいですね。
※( )内は公開年月日。
■国鉄連絡船 紫雲丸沈没(昭和30年5月11日)
■紫雲丸の悲劇は終っていない(昭和30年5月18日)
昭和30年5月11日、宇野〜高松間を結んでいた国鉄宇高連絡船の「紫雲丸」が、濃霧の中「第三宇高丸」と衝突して沈没。死者・行方不明168名という大惨事でした。犠牲者の半数以上が修学旅行中の児童・生徒だったことから大変な社会問題となり、当時の長崎国鉄総裁が辞職し、その後任には十河氏が就任しています。
■死者157人の大惨事 常磐線・三河島事故(昭和37年5月9日)
昭和37年5月3日、国鉄常磐線三河島駅構内で発生した三重列車衝突事故。死者160人という大きな事故でした。この事故を契機に、ATS設置の促進、列車防護無線の開発などが進められることになります。
北陸本線敦賀〜今庄間に完成した全長13,870mの北陸トンネルは、当時としては日本最長でした。この映像では、トンネル開通で廃止となった旧線区間の杉津駅も登場します。駅員たちが駅名標と線路にお神酒を注ぎ、労をねぎらうシーンや、最終列車にいつまでも手を振る姿など、これはものすごく貴重なのではないでしょうか。
冒頭に登場するのはなんと、草軽電鉄!新軽井沢〜上州三原間が廃止になった日(昭和35年4月25日)の映像のようです。北海道のある委託駅とは、どこでしょうか。札沼線に見えないこともないけれど……。「益谷副総理のお国元」として開通した新線は、どうやら国鉄能登線のようです。昭和35年4月17日に鵜川~宇出津間が開業していますので、その開業列車でしょう。「こうして、ローカル線は当分、赤字の片道切符で走り続けることでしょう」という最後のナレーションの通り、結局赤字のままなくなってしまったのですね……
連絡船沈没や列車事故、バス火災などが相次ぎ、修学旅行生が被害に遭うことが多かったようです。それを受けて、修学旅行前に入念な避難訓練を行なっている様子。実際のバスを借りて非常口から逃げる訓練、学校の廊下を客車に見立てて避難する訓練、障害物競走のハードルらしきものを列車の窓に見立てて、それをくぐって逃げ出す訓練……どれも真剣そのものです。すし詰めの旧型客車で行く修学旅行。そんな時代があったのです。
再び修学旅行の話題。今度の生徒たちは、旧型客車ではなく、湘南電車で京都へ向かいます。途中、運転停車した名古屋駅には立売がたくさん……
白河駅に到着する蒸気機関車列車。その後に登場するのは、国鉄白棚線の廃線跡をバス専用道路に改良した国鉄バス白棚高速線(当時)の走行シーン。このバス専用道とバス路線は今でもあるのですからすごいですね。その後にちらりと映る平泉駅の駅舎は……涙ものです。
佐賀県東松浦郡北波多村(当時)の住友石炭唐津鉱業所が閉山となり、炭鉱の人々が同じ住友系である北海道の赤平炭鉱へと集団移住する様子を映し出しています。旅立ちの列車はキハ04とかそんな感じでしょうか。そして歌志内線の歌志内駅に到着する蒸気機関車列車。立ち並ぶ炭住。その赤平炭鉱も、約35年後の1994年に閉山となるのです。今、彼らの子どもたちはどうしているでしょうか。
他にも興味深い映像がまだまだたくさんありますので、みなさんもぜひ探してみてください。
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